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翌週からも私はいつも通り出勤して仕事を続けていましたが、なぜか職場の様子が変わったかのような感覚を持ちました。周りの誰を見ても穏やかな気持ちになり、良い印象を持っていなかった人にもその人の中にある光を感じたのを覚えています。そういう人とは何度もすれ違うことがあり、わだかまりを解消するようにというメッセージに思えました。

そして私は、辞めることを話して自分の思いを伝えるために、共に仕事をした人たちと個々に会っていこうと思いました。ここから私は、驚くべき体験をすることになります。

誰もが私に、自分にとって大切なことや、本当に思っていることを語り出したのです。それは、私が職場の人たちと初めてすることになる、正直で深い思いを通い合わせる対話でした。

思えば、不満や悩みを語るのではなく、もう辞表を出したという私の行動を通してそれが真実だと伝わったからだと思います。その行動をとったこと、自分に話しに来てくれたということに相手が心を動かされているのがわかりました。

仕事に忙殺されて必要以上の話はせず、競争やせめぎ合いの中で沈黙や不信感を重く感じることも多くあった環境で、本心を誠実に語る人たちと向き合ったことは衝撃でした。そして、これは実に皮肉なことでした。辞めるということをしたときに私は、共に仕事をし、多くの時間を共に過ごしてきた人たちの本当の姿、本当の思いを知ることになったのです。

このことを通して、その場所に素晴らしい人たちがたくさんいるにも関わらず、その組織や集団が機能しない場合があることを知りました。

職場の人たちとは仕事上の間柄なのだから、個人的に関わる必要はないと私はずっと思っていました。距離を置き、本当の自分を見せることも思いを分かち合うことも必要とは思わず、分かり合えるとも思っていなかったからです。

心を開くこと。これが鍵であり、始まりなのだと私は知ることになりました。まず自分が正直な姿を見せて相手に対して自分の心を開くとき、真の対話が可能になります。相手の心に届こうと本気で試みれば届く場合が多いことを、私は実感しました。

そうではなくて期待と違った反応が返ってきたときも、そこに意味があります。なぜその人がそういう反応をするのか、それは自分に何を学ばせようとしているのかということです。ただ正直に生きることを始めたとき私は、自分自身のあり方に周りがどう反応するのかを恐れなくなったことに気づきました。

「自分だけがこう思っている」「自分のこの思いは誰にも分からない」と悩むとき、実はそれは、多くの人が同じように思い、理解することです。ただそれを知らなくて、分かり合う機会を逸しているに過ぎません。すぐそばで過ごしているのに互いを知らず、不要な恐れや警戒感によって苦しみを生んでいる場合が多いのです。

私たちは鎧を着て生きている、と思いました。

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