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辞職願いを出したあと、私はこの人(アフリカ出身・男性・人事プロフェッショナル/管理職)を探していました。人事に関して詳しい彼に、手続き上の相談をしたいこともあったからです。しかし、会議中で不在のことが続いていました。

ある朝、彼のオフィスに立ち寄りましたがやはり不在だったので、階下のカフェへコーヒーを買いに行こうと思い、階段を下りていきました。するとエレベーターから彼が出てきて、やはりカフェへ向かうところでした。

私の話を聞くと彼は真面目な顔つきで、もう辞職願いの提出は済んでいるのかと繰り返し私に問いました。退職一時金の交渉をする権利があったことに触れ、それはいいのだと言う私に「(君がそう思っているのは)分かっているけど」と言いました。そして私の質問に丁寧に答えてくれました。

仕事上は互いに対立するような立場にいたこともあったものの、個人的にはいつも親しく、多くの率直な対話をしてきた間柄でした。以前、彼が異動することが決まった直後に偶然カフェで会い、そのニュースを最初に打ち明けてくれたことがありました。それを覚えていたので、今度は私から是非話がしたかったと伝えると、彼は、そうだったね、という表情で聞いていました。

最後に彼は、「君の気持ちは完璧に理解できるよ」と言い、「自分も許されるなら同じことをするよ」と真剣な眼差しで言いました。

後に彼は、在ジュネーブの日本人女性を紹介してくれました。別の場所で働く人ですが、彼らは同じスポーツの活動をしていました。こうして私は、同じ街にいるのにそれまで会うことのなかった彼女と知り合うことができました。

彼女は宮城県出身で、家族が仙台、親戚が石巻で被災していました。最初にジュネーブ市内のカフェで会ったとき、彼女のご家族とご親戚がいかに大変な経験をしたかを話してくれました。WHOを辞めるという私の行動に彼女はとても驚いていましたが、ある程度長くやってそういう心境になったというのもあると説明しました。私よりも若い彼女の仕事の話を聞きながら、試行錯誤と苦労をしている様子がわかりました。

次に会うときはランチタイムを利用して彼女の職場を訪れました。私の職場から歩いて行ける場所ですが、その方面に行くのは初めてでした。いつも閉じこもっていたため長年ジュネーブにいるのに知らない場所が多いことに気づかされ、新しい世界はすぐ近くにあるということを道すがら考えました。

彼女は、前回私たちが会ったときのことを両親に電話で話したのだと言いました。そして、「被災者のためにそんな決断をするなんて申し訳ない」と恐縮していた、と私に言い、「仙台に来ることがあったらご案内するから連絡を」と伝えてくれということだった、と言いました。

彼女が何気なくしたこの話に、私は衝撃を受けました。私は自分が望んで、自分がより満たされるために行動を起こしただけですが、彼らがそれを個人的に受け止めたという事実は新鮮な驚きでした。そして、本当にお会いできたらいいなという思いを抱きました。

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